生徒の状況
角鹿小 1年 2年 3年 4年 5年 6年 合計
18 25 14 24 17 28 26 27 26 14 29 18 138 128
43 38 45 53 40 47 266
               
角鹿中 1年 2年 3年 合計        小中合計             
20 18 30 30 27 25 77 73 215 201
38 60 52 150 416


令和3年4月1日現在

校名の由来

 敦賀は古代三大要津(港)のひとつであり、笥飯浦(けいのうら)と呼ばれていました。日本書紀崇神天皇の条に、朝鮮半島任那国(みまなのくに)の王子であるツヌガアラシトが来着しました。

 (AD32年頃)その王子の額に角のようなものができていたので人々は「角額の人」といい、「都奴賀」とも書き、さらに転じて角鹿(つのが)と記すようになりました。恐らく冠か冑の類をかぶっていたものと思われます。
   
 その約100年後に角鹿国が定められ、さらに角鹿海直(あまのあたひ)という海事担当の役人が特別に配置されました。大陸に向かって、日本海と敦賀の港が古代より重要視されていたことがわかります。この角鹿が敦賀の地名起源になったといわれ、気比神宮境内摂社にツノガアラシトを祀る角鹿神社があります。

 さらにこの角鹿神社東側の地区を戦後、角鹿町と名付け、町内にある中学校も「角鹿中学校」と名付けられました。平成29年に「角鹿中学校区小中一貫校設置準備委員会・総務部会」での検討の結果、「角鹿」を受け継いでいくことが「地域の思い」として確認され、新しい学校も「角鹿小中学校」という名前に決定しました。こうして本校は、この敦賀の地名起源伝説を伝え続けていく存在のひとつとして在り続けています。
 
  芭蕉は、元禄2年(1689年)に『奥の細道』の道中、この敦賀の地を訪れているが、敦賀の古名の角鹿にちなんだ句を詠んでいます。

 

“ふるき名の 
 角鹿や恋し 秋の月”

この句は気比神宮境内にある
 『芭蕉翁月五句』の中に刻まれています。


 
【 若狭湾観光連盟 】にご協力頂きました。