緑の背景に白く染め抜いた「ミ」と「ミ」の組み合わせは,野坂山をはじめ周辺を緑いっぱいにおおわれた理想的な環境にある粟野南の2つのミの形象化であり白亜三層の校舎を表現している。 また,焔型に6本(1年から6年)の緑を配したのは,学校目標の実現に意欲を燃え上がらせようとする全校一丸の姿を表している。 〈昭和51年9月10日)
作 詞 籠 茂昌 作 曲 野口 禎子 1.澄みわたる広き青空野坂山緑に映えて峰にわく真白の雲にはるかなる希望をよせてたくましく伸びる我等の集いよる楽し学び舎 2.豊かなる実りの里に粟生野のその名ゆかしく伝え来し誇りあらたに大いなる希望をめざし鍛えつつ伸びる我等の励み合う楽し学び舎 3.すこやかに茂る若草南風清らな調べ歌声も心明るくあすひらく希望を胸に磨きつつ伸びる我等の進みゆく楽し学び舎 〈昭和52年3月18日)
本校は,福井県敦賀市の南部に位置しており、 通学地域は,新和町1丁目,新和町2丁目,和久野,市野々2丁目,公文名の5地区にまたがっています。 敦賀市の中心街より南西へ距たること4㎞,豊かな水田に恵まれているが,最近の土地造成により新興住宅が激増する〈公文名〉の平坦地にある。校舎の屋上に出て,まず一番に目にするのは,どっしりと構えた雄大な野坂山である。また,周囲を展望すると,田あり,縦横に走る道路あり,遥か山腹には北陸本線の衣掛山ループ線が走り,近くでは小浜線の黒河川鉄橋が見える。その奥の山麓一帯には目にしみるばかりのグリーンベルトが起伏して連なる。ふりかえって,北の方を眺めると遠く密集した市街地を距てて,敦賀湾が太陽の光に照り映えて静かに横たわっている。古来,由緒ある〈公文名〉という地名をもち,豊かな風土に包まれた自然の中で,遠く全市を一望することができる恵まれた教育的環境にある学校である。本校の通学地域は,新和町1丁目,新和町2丁目,和久野,市野々2丁目,公文名の5地区にまたがっている。